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【投稿発表】30代編『あの頃のわたしへ』贈るメッセージ

誰しも乗り越えてきた「悩み」や「困難」に今だから言えること。
「経験」と「時」を経た今の自分から、
『あの頃のわたしへ』贈るメッセージを募集いたしました。

1ヶ月間の短期間での募集にもかかわらず、30代から90代まで、幅広い世代の方からメッセージをお寄せいただきました。誠にありがとうございます。

『あの頃のわたしへ』贈るメッセージが、あなたの心に沁みる。
そして、誰かの心にそっと寄り添うことだったり、求めていたアドバイスになったり。このメッセージが、ご自身を癒し、誰かの背中を押すきっかけになれば幸いです。

ご投稿者の年代ごとに発表させていただきます。
人生30年を歩んでこられた今、自分へ贈るメッセージをご覧ください。

「あの頃のわたしへ」贈るメッセージ ご紹介

▼30代編

【子育て奮闘中のわたしへ】
大丈夫。たくさんたくさん、頑張っているよ。
できないことがあるとすぐにえーんと泣いていた幼少期の息子。
三兄弟を育てる私は当時(今も(笑))余裕がなく、とにかく朝起きてから寝かしつけるまで必死な日々で……(笑)笑顔で接する機会は少なかったような。もっと子どもの声に耳を傾けたらよかったかなと、天使のような子どもの寝顔を見ては反省することもしばしば。

あっという間に成長し、三人とも無事に小学生にあがって、今も常にフル回転のお母さん。
宿題の丸付けに追われ、「今日アレがいる!」は日常茶飯事……(笑)
息子たちの成長を願って叱ったり、一緒に泣いたりすることもあるけれど、どんな時も一緒に過ごせることが何より大切な時間。

もっと優しく伝えたらよかったかな~、ゆっくり話を聞いてあげたらよかったな~と思い返すときりがないけれど、それでも一緒に笑って過ごせる毎日があるのは息子たちのおかげ。お母さんにしてくれて本当にありがとう。

子育ては何が正解かは分からないけれど、成人したらきっと答えが分かると信じてる。産まれてきてくれてありがとうを忘れずに、子育て楽しく頑張れ、わたし。

30代女性 福岡県 三猿ママ様

今この言葉を心の隅に、忘れないで覚えていようと思っている、そんなあの頃の私へ。

「若い子はブランド物を欲しがるけれど、歳をとると若いっていうだけでブランドなのよ。」
どこかで聞いたその言葉を、いつか理解する日が来るかもしれない…。と、思っていた10代。
まだまだ何も諦める事なく、取り戻せると思っていた20代。
少しずつ色んな物を手放して、妥協も覚えなくてはならなくなった今の私。

でもいつも変わらない事は、"今"の自分にとっては、"たった今、この瞬間"が一番若い時。
何をするにも一瞬でも、若い方がいい。
そんな思いを、どの時の私にでも伝えたい。

30代女性 北海道 きてぃ様

【母が闘病中だった頃の小学生のわたしへ】
三人兄弟の真ん中長女で、女の子一人だったこともあり祖母や母、親族からずっと心配されていました。

当時家族で福岡に住んでいましたが、母は闘病のため生まれ育った町の病院へ入院すると聞かされ、わたしだけ家族から離れ病院に近い祖母の家に預かってもらい、少しでも母に会いにいく時間を作ってもらっていました。

祖母と叔父家族と一緒に生活している間は、自分だけよそ者扱いなので、たくさん辛いこともありました。それでも、一日でも多く母に会うために、自分だけ父や兄弟と離れることを選んだわたし。

自分自身が母親になった今、祖母がいるとはいえ、その頃の私はとても勇気があったのだと思います。

わたし達兄弟がまだ、幼稚園生や小学生だったこともあり、病名は聞かされずいつかきっと治って、一緒にまたお菓子作りや裁縫ができると信じてお見舞いへ通っていました。

病院へ行くと、治療を受けた後の母はいつもきつそうで、いつもは我慢している母も「お母さん いたい?」と聞くと「痛いよ」と辛そうな顔をしていたのを今でも覚えています。

それでも、習字の先生になれる資格を持つほど字がキレイだった母は、漢字の宿題をよくみてくれていました。

一時帰宅で祖母の家で一緒に眠る日、母の髪の毛が抜けていることを始めて知り、痛くて痛くて、耐えられずずっと痛み止めを飲んでいたのではないかと思います。

何年闘病生活を送っていたかは定かではありませんが、最期の日、伯母の家にいるときに突然電話が鳴り、伯母たちが焦って私たちを車に乗せたことは昨日のことのように鮮明に覚えています。

どこからの電話か聞いても教えてくれず、とにかく病院へ向かうと言われました。
着いたときにはすでに母の意識はなく、最期のお別れをすることができませんでした。最期までわたし達三人の名前を読んでくれていたようです。

当時年長だった弟は母が亡くなったということが理解できずに、「お母さんはお空にいったから もう二度と会えないんだよ」と何度も伯母たちに説明され、理解すると同時に泣きじゃくっていました。

その後、母が他界する前にわたし達三人それぞれへ手紙を書いてくれていたんだよと渡されました。わたしは当時小学2年生で、父は最期の数カ月仕事を休んで病室に付き添っていました。

わたしが出産・子育てを経験し、母となった今だから思うことは、”子どもたちが元気でいてくれる”それだけで十分幸せだったと思います。

もっと子供との思い出を作りたかっただろうなと思うととても胸が苦しくなりますが、たくさん愛情を注いでくれた母の想いをわたしも子ども達に伝えていきたいです。

余談ですが、自分が好きなキャラクターのスヌーピー。
可愛いから好きになったと思っていましたが、母の遺品からスヌーピーのファイルやノートが出てきて、思い返せば幼少期に使っていた食器もスヌーピー。母が好きだったキャラクターだと気づき、益々好きになったキャラクターです。

30代女性 福岡県 スヌーピー様


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