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【投稿発表】50代編『あの頃のわたしへ』贈るメッセージ

誰しも乗り越えてきた「悩み」や「困難」に今だから言えること。
「経験」と「時」を経た今の自分から、
『あの頃のわたしへ』贈るメッセージを募集いたしました。

1ヶ月間の短期間での募集にもかかわらず、30代から90代まで、幅広い世代の方からメッセージをお寄せいただきました。誠にありがとうございます。

『あの頃のわたしへ』贈るメッセージが、あなたの心に沁みる。
そして、誰かの心にそっと寄り添うことだったり、求めていたアドバイスになったり。このメッセージが、ご自身を癒し、誰かの背中を押すきっかけになれば幸いです。

ご投稿者の年代ごとに発表させていただきます。
人生50年を歩んでこられた今、自分へ贈るメッセージをご覧ください。

「あの頃のわたしへ」贈るメッセージ ご紹介

▼50代編

看護師の仕事から離れて20年 
その間夫の事務職を手伝っていましたが、再び看護師に戻りました。基本的な事は変わりはありませんが医学の進歩と看護師の仕事の変化に戸惑いました。人間関係にも悩み泣き毎日明日辞めようと考えていた日々。でも3日、3ヶ月、3年頑張ろうという気持ちもありました。怒られたりバカにされたり…でもいつかこの努力と辛抱が身を結ぶ日が来るはずだからね!って自分に言い聞かせて、7年が経ちました。今では教えられるまでになりました。あの時頑張ってよかったね!泣いた分ハッピーになれたね!!
あと少しで定年を迎えるけど 足手まといになるようになったら離職。
それまで頑張ろうね!

50代女性 福島県 ひーちゃん様 

1人ボッチでオドオドしていた、あの頃の私、あの頃の職場の環境は、それはそれは酷く冷たく辛い不思議でもある環境でしたね、
強く活発な彼女に周りは、くっつき楽しそうに毎日を送っていました、私には、それができず結局1人ボッチになりオドオドペコペコしている事が自分を守る安全に過ごせる手段だった。職場を辞める事が何より簡単な事だったのかもしれない、しかし心の中の私が何故?私が辞めなくては?いけないの?辞めるって逃げる事、何も悪く無い私が何故?逃げる必要があるの?と繰り返していました、苦しい辛い笑顔も忘れてしまうため息ばかりの日々でした、それでも私は、知らず知らずに強く逞しくなっていた、意地悪にもめげず辛い酷い事にさえも負けなかった、それでも何年過ぎたのだろうか何故か、その人達が一斉に退職して行ったね、嬉しかったより気が抜けたよね、酷い事されたのは、どうでも良いあの頃の私、逃げずにひたすら真っすぐ頑張って逞しく変わって行ったんだよね、今は最高に素敵な仲間と笑い合い声掛け合い時には譲り合い思いやり合い働けているね、あの頃の私をいつも胸に初心を忘れず、変わらず頑張ってね、あの頃の私有難う。

50代女性 東京都 パル様

君は今40歳。上司のパワハラで人生史上最大の危機に瀕している。
毎朝起きるのも恐怖で、通勤の足取りは重い。
ただ、心配するな!乗り越えられる!

だけど数年後、死を覚悟するもっと重大な危機が君を待っている。
心配するな…それすら乗り越えたよ。
死に直面した事でパワハラなんて屁でもないと今は思える(笑)

100歳までの経済的シミュレーションをしてみた。
死ぬ覚悟をした人間が100歳までの計画とは、おかしな話だが、お掛け様で黒字の見込みだ。
いまは、人生史上最も幸せだと言える。
10数年後の話だが、そこまでに山あり谷ありだ。
たくさんの学びも得る。
人生はトランポリンだ!深く沈まなければ次に高く飛べない。
挑戦を続けてくれ!

50代男性 大阪府 フォアグラ肝臓様

母が施設に入居した頃のわたしへ
母が自宅で過ごせなくなり、施設に入居してから、コロナと重なり、介護度がどんどん上がり、車椅子になりました。私が実家に戻って一緒に暮らしていたら、今でも元気でいたかもしれないなど悩むこともありました。
今は少し元気になった母を見ると、介護のプロにお任せして良かったと思っています。自分が仕事を辞めて母との生活を上手く出来たかどうか疑問です。自宅で過ごすのが理想ですが、家庭の環境や兄弟・親戚など、話し合った結果を納得し、今できることをやることが母にも自分にも最適なんだと思います。

50代女性 東京都 のじこ様

幼い頃のわたしへ。
大阪の下町の文化住宅の窓から見てた光化学スモッグでぼやけた空。
家族5人で暮らす二間。洗濯機は外の通路。貧しかったあの頃。
将来の夢は漠然とお金持ちになりたいと。
お金持ちでは無いけど会社を起こして欲しい物を買えるようになったよ。
ステーキ食べられるようになったよ。よく頑張ったね。

50代男性 鹿児島県 ロロノアヒロ様

あの頃のわたしへ、病気して2年間ほとんど寝てたよね、毎日天井とにらめっこ、辛かったよね、前に進もうと必死だったけど怖くて進めなかった、勇気を出して一歩進んだから今は元気で仕事もできてるんだよ、あの経験があったから人に優しくなれたんだよ、辛くて苦しかったけど無駄じゃなかったね!あの頃のわたし偉かったよ

50代男性 東京都 あつし様

今の私へ(短距離走から長距離走になった私へ)
昨年9月入院中の母が退院することになった。癌の終末期だった。自宅か施設か医師に迫られた。三人兄弟の長女である私は弟や妹の反対を押し切り、自宅療養を希望した。母は意識障害を起こし意思疎通ができなかった。昔母が何があっても施設に入りたくないと言ってたのを私は聞いていたからだ。弟夫婦は共働き、妹夫婦も共働きで新幹線で3時間の遠方に居る。私もパートで働いていたが2人の子ども達は学校を卒業してそれぞれ会社の寮に住んでいる。主人と犬と私の田舎暮らしだったので、主人には申し訳なかったが、仕事を辞める決心をした。他にも続けている事があったが、それも一旦休業した。そこまで私を思い込ませた理由は、二つある。

同居していた義母は、10年前に入院先で他界。実家の父は、母と二人暮らしで老老介護が困難で私の家の近くのサ高住に一時預かったが、4年前に入院先で他界。義母も父もほぼ毎日病院に見舞いに行ってたのに夜間ひっそりと一人で逝ってしまった。連絡があり駆けつけた時には遅かった。寂しい思いをさせてしまったとずっと後悔の念が私を責める。申し訳ないと思っている。それが理由だ残された母だけは私が看取る。と心に決めた。終末期で意識障害があったので、覚悟を決めて戻って世話をしていると、先生方も驚くほどに回復して、半年後には車椅子生活ではあるが以前と変わらず元気になり週3回デイケアに出かけてスタッフの方と楽しく過ごしてお風呂に入れてもらって帰宅できるようになった。

妹も介護休暇を3ヶ月取得して私を助けてくれるし、弟も車で外出させてくれる。主人も犬と一人暮らしを頑張ってくれてる。子ども達も時々顔を見せてくれる。有難い事だ。だが月日が過ぎると私に不安が押し寄せる。本当にこれで良かったのか?自己満足ではないのか?ゴールは見えないぞ!

だから、今の私に贈る言葉は、

『私が決めた事は間違ってない。きっとやり抜いて良かったと思える。もう後悔しない。今を淡々と明るく過ごせば、母もきっと悔いのない人生を送ってくれる』日常を平凡に生きる事の有り難さを教えてもらっている毎日です。

50年の人生の糧が今の私を動かしてくれて、周囲の皆さんのお陰で心に明かりを灯してもらい、母から人生の終末の勉強をさせてもらっています。笑顔の人生で終末を迎えられますように。

50代女性 兵庫県 ゴエモン様

私が生まれる前に兄が生まれて事情が有り他界しました。1歳だったそうです。もし、兄が生きていたら…
お兄ちゃんって呼びたかったです。私が生まれて来て月日が経ち妹や弟が次々と生まれて来ました。でも…

私は本当に辛く悲しく25歳まで地元に暮らしていて実の母親や妹や弟にお金の執着が激しく苦労をさせられました。周りからは助けて貰えなかったです。毎日朝から晩まで喧嘩は耐えませんでした。泣きました。実の母親から、借金をさせられる日々が続き返済は…私が働いて返済を済ませカードも返却しました。

その後、勝手に見合いをさせられ不幸でした。嫁ぎ先
借金もさせられ自己破産まで辿り着くまで時間は本当掛かりました。離婚もしました。人間不信にもなって信じる事を恐れました。今の旦那さんと出会ったのが30歳を過ぎてて、暫くお付き合いをして今までの…出会った男性と分かり良くしてくれたり交際費とかもちゃんと出してくれて信じて見ようと思いました。

今は結婚して10年は経ったかな…って思いますが…
本当に旦那さんと出会ったのが良かったです。
あの頃の私が苦労をして辛かった日や悲しかった日が
本当に嘘の様に感じます。

50代女性 神奈川県 スミちゃん様

あの頃のわたしへ。
凄く若くてキラキラして可愛かったあの頃のあなた。
まだ子供なのに初めて知った愛を大切にして16で結婚してしまった。
でも子供大好きで保育士になりたかったから、そして早く若くしておばあちゃんになりたかったから、いいやと思ったよね。
赤ちゃん欲しかったけど出来なくて諦めてたらぽろっと授かった。
20歳でママになったけどそれでもまだ幼くて。
一生懸命頑張りました。

パパは居なくなってもママがパパの分まで働いたよね。
頑張り過ぎて心がパンクして逃げたこともあったけど、立派に育ってくれて。
今では孫もできておばあちゃんになれたけど、後悔もありながらあの頃も良しと出来る私になれたことが今幸せです。
働き過ぎて体もボロボロになってしまったけど、よく頑張ったねあの頃の私!

50代女性 奈良県 ゆうたん様

20歳の私へ。
思うように前に進めなくて、夢の叶え方も判らなくて、毎日ただやみくもにあがいてたよね。
苦しかったし悲しかったし、家族に八つ当たりしたり、友達と喧嘩したり、本当に最悪な時期だったと思う。

あれから30年経ったけど、正直言って、今でも私はあがいてるよ。
苦しいことも悲しいこともいっぱいあった。友達とも喧嘩したし、家族ともぶつかり合った。

でもね、今は自分がちゃんと前に進んでると思えるんだ。あの頃に想像したBIGな成功者にはなれてないけど、いい出会いや、楽しい仕事や、新しい趣味を見つけて、毎日そこそこうまくやってる。

あ、そうだ。更年期って、ほんとに来るからね。都市伝説じゃなかったから。

だけど50代のおばちゃんの顔は、20歳の頃よりちょっとだけ逞しく見える。頑張ってここまで生きてきたねって胸を張れる。
あの時、人生を終わらせなくてよかった。

生きてると「続き」があるんだよって言ってくれたあの友達、今も不器用に頑張ってるかな。

私の人生も、まだまだ続いてくみたいだよ。やみくもにあがきながらね。

50代女性 東京都 りく様

二十代から三十代、楽しかったな。でも今は、もっと幸せだし。楽しいです。

50代女性 宮城県 キミ様

漫画が大好きで将来は漫画家になりたかった10代の私へ
美術系の専門学校に行き、漫画家になるための糧にするはずだったのに、上には上がいるから絶対挫折すると言われ夢を諦めましたね。
その後行きたかった美術専門学校を卒業した男性と出会って話を聞き、美術系は自分に向いてなかったと納得できます。漫画第一で結婚するはずない、と思っているでしょうが、その男性と結婚して3人の子供に恵まれます。今もちゃんと漫画は趣味で楽しんでいるので安心してくださいね。

50代女性 石川県 房代様

高校生の頃、兄貴とふたり暮らしさせられたよね。
たまに母親来ると、なにかしてもらった思い出より、豚小屋みたいに汚い家に住んで!と怒られたのを思い出すよ。
完全に仕送り折半してお互い勝手に暮らすようになったよね。最初の頃は頑張ってたけど、ママレモンの匂いのするおにぎり作ったり、夕飯がコーンフレークで先輩に驚かれたり。この頃納豆豆腐という節約腹もち料理を覚えたな。あの頃珍しかった24時間コンビニサンチェーンが近くにあったから、そこに行ってはチョコレート菓子を買って夕飯にしてた。年1送られてくるリンゴはひもじい時に籾殻から探り出しては丸齧り。親戚御用達ののり屋の海苔もひもじい時は3帖くらい食べちゃう。バリバリバリと。味付け海苔もご飯のお供でなくそのまま食べてたな…
身体を作る大事な時に、頭脳も動かさなきゃいけない時によくない食生活で貧血でぶっ倒れたり、朝は起きられず、単位が危なかった教科もあったな。
あの時の苦労でいまの栄養摂取にも悩んでいるけど、貧乏ネタに共感できたり、食べ物は大事とわかったり、残さず食べるようになったり、大食いになったり…あまりよくないか。食は大事。

50代女性 東京都 多摩のおばちゃん様

あの頃の私へ 
あの頃は大変だったね。旦那のモラハラと娘の反抗期、仕事の昇進すべてを1人でがむしゃらに戦ってかかえこんで、ゆっくり息すらするのも忘れて我慢して自分のことなど考えることすらなく動きぱなしだった。
今思えばよく頑張っていたね、精神も体も心も限界まで落ちいって、やっと気づいた 自分って存在は何だろうって、今は全て終わって、自由に楽しく生きてます。あの頃はなんにも気づかなかったけど、あの時期があったから今、気づきがあり今の自由が自分だってわかったよ、これからもずっと、楽しく自由にいきていきます。自分は自分で自分のものだから。

50代女性 大阪府 パンダくまちゃん。様


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