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【投稿発表】70代編『あの頃のわたしへ』贈るメッセージ

誰しも乗り越えてきた「悩み」や「困難」に今だから言えること。
「経験」と「時」を経た今の自分から、
『あの頃のわたしへ』贈るメッセージを募集いたしました。

1ヶ月間の短期間での募集にもかかわらず、30代から90代まで、幅広い世代の方からメッセージをお寄せいただきました。誠にありがとうございます。

『あの頃のわたしへ』贈るメッセージが、あなたの心に沁みる。
そして、誰かの心にそっと寄り添うことだったり、求めていたアドバイスになったり。このメッセージが、ご自身を癒し、誰かの背中を押すきっかけになれば幸いです。

ご投稿者の年代ごとに発表させていただきます。
人生70年を歩んでこられた今、自分へ贈るメッセージをご覧ください。

「あの頃のわたしへ」贈るメッセージ ご紹介

▼70代編

大学時代の私へ。
あの頃は大学紛争で、入学して半年は大学が封鎖され、勉強どころではありませんでした。その頃ちゃんと勉強してたら、今と違う道を歩んでいるのではないかと思います。どんな道かわかりませんが!

70代男性 長崎県 マーボー様

私が定年退職を迎えようとする2年前に、妻がすい臓ガンと判明し治療入院中に東北大震災が発生し、仕事上教育施設の災害復旧事業と併せて妻の看病で心身ともに休まらない状況で辛かった想いでした、お互いの頑張りも空しく退職半年前に妻は亡くなり絶望の極りになり、仕事を続ける意義を失い、自分を見失い、退職後は再雇用を蹴り自分を取り戻すための自分探しに、好きに生活しながら友を増やすことを実践してまいりました。

70代男性 栃木県 サダやん様

何もしてこなかったから、何もない人生をおくっています。平凡

70代男性 広島県 仏のこうちゃん様

只今、70歳!
思い起こせば、波瀾万丈の人生!!24歳で、同じ出身地だった主人と お見合い。その当日にアルジェリア2年間赴任したい!と聞く。それは妻帯者のみ可能で、入籍も済ませ結婚式を半年後に決定!しかし式の1ヶ月前に、急性アルコール膵炎で、仕事中に倒れ入院!アルジェリアは夢と消え、結婚式のため、自宅療養の許可を貰って、仕事もやめて帰省する!この日から主人の塩、砂糖、油制限と言う食事療法が始まり、新米妻にとっては過酷な新婚生活のスタートとなりました。結婚式当日、大型台風接近!!新婚旅行は九州だったので、正に台風に向かって進み広島から豪華客船のスィートは、欠航で、急きょ広島駅でホテルを探し部屋に入るなり停電! 次の日新幹線は動く気配はなく、1日遅れで九州に!旅行を終え無事に帰宅出来るかと思いきや、今度は、交通機関のストとなり、この結婚は間違いだったかの様なスタートでした。4人の女の子を授かりましたが主人は子育て参加無し、上二人は年子、2歳離れて三女、長女の毎日三年間の夜泣き、異常な乳吐きで大変な子育てでした。しかし四女は、八つ違いの長女が、育ての親の様に面倒を見てくれたので、救われました。

70代女性 広島県 みー様

5歳の頃のわたしへ
未熟児で生まれ虚弱体質だった私は、5歳くらいから同じくらいの年の子どもたちが笑い声をたてながら遊んでもいる姿を見ながら、私は直ぐ疲れるからみんなと遊んだ事もなく、毎日おかあさんが何とか食べさせようと色々作ってくれる物を、それも少ししか食べられない私って「何だろう」と初めて思った日の事を思い出します。
特別、何かを言う訳じゃ無いけど、とにかく一生懸命育ててくれているのがわかりました。
そのおかあさんを悲しませないように、一生懸命生きて来たら、子ども4人授かって、今、孫を11人授かってとにかく楽しい人生になっています。
物心ついた頃から、ぼ~としていた毎日でした。思春期の時に生きている意味が分からず死を考えた事も有りましたが、選ばずに頑張って来たね。と、褒めたいです。

70代女性 東京都 福ちゃん様

『あの頃のわたしへ』
全然思いつかなかったのでもう40年ほど前になりますか先輩から言われた一言で滅茶苦茶気が楽になった言葉を思い出したので今の自分にもかけられる言葉だなと思いました。
この言葉です。『成り行きでええやん』一見無責任のようでその場しのぎみたいですけどいい意味で力が抜けます。

70代男性 和歌山県 hhmm様

だんな様が闘病生活中の私へ
10年程前、がん闘病中のだんな様に心配や不安や後悔をさせないように、明るく気丈に、毎日自宅を起点に会社と正反対の位置の病院へと通ったり、話す事が出来なくなっただんな様とメールで会話をしたり退院後も私のできる限りの事をして忙しくも充実した日々を過ごして安らかに送り出す事が出来たあの頃の私、「お疲れ様よく頑張ったね。」と労いの言葉を贈りたい★

70代女性 兵庫県 さっこ様 

団塊世代の働きびとたちに聞く「仕事とは?」 福井のコミュニティ誌に2007.9月号に掲載された内容である。「仕事で得た技能を、社会に還元していきたい」と当時の想いは語っていますね?あれから十七年、「あの頃のわたしへ 贈るメッセージ」を今、実践しています・・・良き友に恵まれ、感謝で一杯です。ごくろうさまでした。死ぬまで頑張ってね。社会とのつながりは「認知症対策」になりますね。
在職中は、県職員の不動産部門ではたらいておりました。資格として、「公認不動産コンサルティングマスター、宅地建物取引士、マンション管理士、FP技能士、行政書士、相続判定士等」
今は、相続、贈与に係る悩み事相談者・講演会の講師をしています。

70代男性 福井県 勝チャン様

10才の頃の私は本ばかり読んでいる子でした。ある日のことクラスの友達が何日も全員口をきいてくれなくなりました。おとなしい友達はどうしてよいかわからなかったのか、眼では話しかけてくれるのですが近寄ってはくれませんでした。私にも原因があったのかもしれませんが、辛い毎日でした。そして学校に行けなくなってしまったのです。下校時間になると近所の子達が帰ってくる声が聞こえてきます。今日は何をしたのかな?当番の兎は元気にしているかな?勉強はどこまで進んだのかな?でも布団から出ることはできませんでした。別のクラスの友達は様子を見に来てくれました。母さんはいつもと変わりなく接してくれました。どのくらいの月日をそうやって過ごしたのかはっきりとは覚えていません。

ある日父さんの自転車に乗せられ学校に行くことになりました。前日はめったに雪の降らない房総に雪が降り、薄く積もった白い雪の上にポツリポツリと赤い椿の花が落ちてとてもきれいだったのを覚えています。学校に着くと待っていたのは級友達の「ごめんね!」の言葉でした。担任の先生の計らいで学級会がもたれ、何かが氷解したのでした。未だに原因は分からないまま65年以上を過ごしてきましたが、悪いことばかりではありませんでした。あの時の痛みは常に私の胸の奥にくすぶったまま、自分と相手を入れ替えて考える癖がついてしまいました。そう、少しだけ相手の気持ちに寄り添うことができれば争いのない世界が向こうからも近寄ってくれるのではと、そんなことを考えるのです。
あの頃のあなたはずっと私を支えてくれているのです。

70代女性 神奈川県 アズキママ様

中学校を卒業し、町工場で働きながら定時制高校を卒業して国家公務員になった。
九年後に公務員を退職して、税理士である義父の負債を三年で完済。
ところが義父が死亡。私は税理士の資格が無いので、税理士を採用して会計法人を設立した。
三年後に、雇っていた税理士から無資格の私は、自分が設立した会社から追放されて失業。幼い子供達と過ごした失業期間は、地位やお金よりも大切なものに気付く貴重な期間となった。
二年後に資格をとって税理士事務所を開業し「社会への役立ち」を目標にして四〇年を経過した。本業とは別に、人生を行き詰った人の相談を、疑似体験の仕入れと考えて無料で続けてきた。
その度に、勉強するべき課題が生じて、朝早く起床して自己探求を続けている。
八〇歳を迎える八月からは事業を承継者に任せて、人生を愉しむ後期「幸齢者」になります。

70代男性 福岡県 カメちゃん様

20代の頃は元気さと吸収力で日々成長していた私。
30代は若手のリーダーとなり、「空をも飛ぶ勢いがある」と言われていた。40代は職場のリーダーとして無双を誇り、50代は管理職として一挙手一投足が大きな影響を与えた。そのような頃、目の前に控える「定年退職」という事実に不安を覚えていることでしょう。でも、大丈夫。目の前にあるのは、これまでを上回るバラ色の人生なのだから。名付けて「還暦、最強!」
30才までの「人生前期」は体力と時間はあるが経験と財力が無い。30才から60才までの「人生中期」は財力と経験はあるが時間が無く体力は落ち目である。
それに対して60才以降の「人生後期」は体力は衰えるものの時間はたっぷりあり、経験は溢れるほど。これまでに培ったノウハウや人脈を使えばほぼ無敵常体と言える。その中でもいちばん若い60才である「還暦」は、現役と違わない体力はあり、貯蓄は人生で最高の時期と言える。これが「還暦最強」説の根拠である。
これから古希、喜寿、傘寿…と次第に体力も財力も記憶も衰えてはいくものの、「還暦こそ人生の頂点」と心得て、明るい後半戦を満喫していってほしい。

70代男性 神奈川県 EIKEISHI様


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