妙祐山幸龍寺
ぶらっと寺町 講義2 |講師:カツさん
妙祐山幸龍寺
加藤清正の清正公堂とさざれ石がここに!
今回は、タイトルの加藤清正公堂と国家に謳われているさざれ石のある幸龍寺をご紹介します。
では、まず場所ですが「烏山寺町」のバス停「寺院通り3番」を降りて左側に幸龍寺の山門が見えます。
このお寺は寺町の中で2番目の広さと言われています。
それでは、お寺の由緒から始めましょう。
天正7年(1579年)徳川家康公がいまだ浜松城主の時、同年4月徳川2代将軍秀忠公が誕生しました。
乳母となった(正心院殿日幸尼)は秀忠のために寺院建立を願い、家康公は一族の繁栄を祈る祈願寺としてその願いを聞き入れ、玄龍院日偆聖人を招いて浜松場外に開山します。
のちに、浜松から居城を駿府(今の静岡県静岡市)に移し、江戸入府後は神田湯島の地に移ります。
その後、2代将軍秀忠公は御正室のお江与の方がご懐妊後、無事お世継ぎ(3代将軍家光公)が誕生すると祈願成就として、鬼子母神・十羅刹女を幸龍寺に寄進されました。
現在、寺宝としてこの幸龍寺で大切に所蔵されています。(※1)
3代将軍家光公の時に、浅草の新谷殿(順正院殿 家光公の側室)の公邸8千坪を拝領し湯島から同地に移します。
5代将軍綱吉公は寺地を拡大、大規模な造営を行いましたが、関東大震災で被災後、昭和2年に現在の烏山に移転となりました。
浜松から駿府、神田湯島、浅草から烏山の地へたどり着くまでの道のりが想像されます。
その中でぜひご覧頂きたいのが、寺宝としての建築物 山門(松本伊豆守寄進)と清正公堂です。
江戸天保年間の建築と言われ、ともに関東大震災の被害から免れ浅草より移転してきた貴重なものです。(※2)
1.山門(妙祐山幸龍寺)
まずはその山門がこちら。
山門に寺額(門の高い位置に掲げられている額)に「妙祐山」とありますが、こちらが山号と言われるものです。
山号って?
それは、寺院の名の上につける別称。
そもそもお寺は多く山に建てられた為、その山名で呼ばれていましたが、鎌倉時代以後は平地の寺院にもおよび、別称として一般化されています。
みなさんご存知の比叡山延暦寺も比叡山が山号となります。幸龍寺の場合は、山号が妙祐山となるわけです。趣のある山門ですね。
次に、いよいよ加藤清正が祀られている清正公堂です。
2.清正公堂
山門を通り右手にあるのが加藤清正公の清正公堂です。
最初にお浄めをしましょう。
まずはお浄めのための手水舎(ちょうず)をご紹介。
清正公堂の右手に龍の手水舎があります。
こちらが手水舎。
龍の口、龍蛇口(りゅうじゃぐち)とも言われ、蛇口として神社仏閣にあります。
龍は想像上の動物ですが、仏教では航海や雨乞いの守護神とされています。(※3)
その龍の守護神からでるお水がご神水として、神社・お寺に入る前に身を浄め、手や口についた穢れを清めるために参拝します。
ちょっと強面の龍の口から出たお水で、私も清めて参拝しました。
蛇の口のアップがこちら!
さらに、手水舎の屋根を支える柱に飾られた彫刻をご覧ください。
柱にしがみつくのはコアラではなく龍です。
龍をモチーフにした彫刻が4本の柱にそれぞれに施されています。
素晴らしい彫刻です。ぜひご覧ください!
次に左手をご覧ください。
浄行菩薩(じょうぎょうぼさつ)堂が見えます。
浄行菩薩とは、法華経に出現する菩薩様で水が穢れを清めるがごとく、煩悩の汚泥を洗い注いでくださる水徳をお持ちの菩薩様です。(※4)
では本陣に入ります。
正面に見えますのが、清正公堂です。
みなさんが知っている加藤清正といえばご存知、虎退治。
清正の陣に出没した虎が馬や家臣などを殺したことで怒った清正が、山に行って凶暴な虎を槍で一突きして仕留めたことから、勇敢な武将として知られています。真偽の方は不明だそうですが。
その加藤清正公は日蓮宗に熱心なことから神として祀られ建立されました。
ここが柏原大明神・清正(せいしょう)公大神祇です。
では一旦清正公堂を出て、すぐ右手の芝生の上に目を向けましょう。
石が置かれていますね。これがさざれ石。
3.さざれ石が国歌に!
このさざれ石、ご寄付によりこちらのお寺に置かれていますが、実は私(カツさん)が初めてさざれ石を見たのがここです。
それもつい最近気づいたんです。
ご存知のようにこの石は「国歌」に出てくるさざれ石のこと。
さざれ石がどんな石か知らずに今まで国歌斉唱していたとは!
さざれ石を漢字で書くと「細石」、学術名は「石灰質礫岩」(せっかいしつれきがん)と呼ばれています。
この岩、一枚岩ではないんです。石灰岩が雨水に溶解して粘着力の強い乳状体となり、小粒と大粒の石が集まって凝結していき次第に大きくなっていくことから、国歌に詠まれる如く「千代八千代」の年月をへて、団結・繁栄・平和の祈りと長寿を表して詠まれたと言われています。
この石は、「国歌発祥の地」と言われる岐阜県揖斐郡春日村の山中より産出したものです。(※5)
よーく見ると小粒の石がいっぱいへばりついて集まっています。
その小石、長い年月とともに集まり巌となり、苔がはえるまで続いて欲しいという願いから今も歌われているんですね。
今回は、清正公堂とさざれ石をざっとご紹介しました。
4.葵の御紋
最後にこちらのお寺の「葵の御紋」をちょっと紹介。
本殿に飾られています。
破風拝紋(はふうはいもん)と言われるところに葵の御紋が見えますね。
葵紋はウマノスズクサ科のフタバアオイの葉の形を図案化したものです。
この葵、京都の賀茂神社の祭儀に用いる神聖な植物とされ、賀茂葵とも言われています。
三河の松平氏の家紋がこれで、松平氏を継承した徳川氏は二葉葵に一様を加えて三つ葉とし、その茎の方向を三頭の「ともえ」のように配列して三つ葉葵または葵鞆絵(あおいともえ)と呼ばれています。(※6)
フタバアオイの葉は通常2枚ですが、3枚は稀であることから3枚の葵は架空のものと言われています。
この2枚葉が3枚になりデザインされて、「葵の御紋」となるわけです。
本殿だけでなく、探して見ると雨どいにも飾られていました。
実はお寺に通っている方も今回初めて気づいたそうです!
ちょっと見落としてしまうところにも紋があるんです。
どこに隠れているか探せばもっと出てくるかも。。。
さて、今回の取材は夏の真っ盛り、蝉の鳴き声が響き渡りお寺の静けさがかき消されるほどでした。
ここで一句、「やかましや 耳にしみ入る 蝉の声」。
本当に蝉の声が暑苦しかったです。
それではカツさんの第二弾寺町レポートでした。
次回「ぶらっと寺町」では存明寺を特集します。
親鸞聖人の勉強会に参加してみました。ちょっとその模様もお伝えします。お楽しみに!
《出典および参考資料》
※1 幸龍寺発行 幸龍寺略由緒より
※2 烏山寺町 世田谷区立郷土資料館編集
※3 小学館 『日本国語大辞典 第二版』
※4 日蓮宗 サンゲと供養のお寺より
※5 幸龍寺発行 幸龍寺のト書より
※6 吉川弘文館 国史大辞典より
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