烏山寺町ー常栄寺ー
ぶらっと寺町 講義1 |講師:カツさん
烏山寺町ー常栄寺ー
烏山在住の私(カツさんと呼ばれています)が紹介する寺町企画、第1弾です
寺町と言われる由来は?
「東京の小京都」として知られる世田谷区烏山寺町。最寄り駅は京王線の「千歳烏山」。
新宿駅から各駅で19分。その千歳烏山駅から歩いて、2時間程で周れるエリアに、宗派も様々な26ものお寺が集約。お寺がこれだけ集められたことから、「寺町」と言われるようになりました。
何故この土地にこれだけのお寺が!?
それは、明治21年東京市区改正条例によって、墓地の郊外移転計画が課題となり事業が進む中、関東大震災で被災した浅草、築地、本所、深川の寺院が、大正13年に烏山の地に移転したことから「寺町」が形成されました。(※1)
この烏山、もともと雑木林と畑(桑畑など)が広がり、自然に恵まれた環境と広大な場所があったことから、多くのお寺の受け入れ場所として選ばれたようです。
今回お届けする「ぶらっと寺町」は、烏山バス通りにあるバス停「寺院通り2番」から「寺院通り5番」にかけてです。
通りに面して両側にお寺がずーっと並んでいます。
木々に囲まれ、敷地の広さが感じられるお寺は、いつ足を踏み入れても静かな佇まいを感じさせてくれます。
1回目で紹介します常栄寺は、バス停「寺院通り2番」を降りて右側に位置しています。
第一回 お寺の修復工事って?
浄土真宗本願寺派鳥越山常栄寺
お寺の山門と本堂の修復工事が長きにわたり行われていたため、以前より気にかかっていたお寺。
修復工事も終了し、拝観した時はあまりの見事さに見とれてしまうほどでした。
そこで大々的な修復工事だったため、ちょっとご住職の奥様にお聞きしてみました。
こちらの常栄寺、創建当初は浅草鳥越の地にありましたが、本願寺十二代宗主・准如上人(じゅんにょしょうにん)が、浅草横山町に浅草御堂(前身築地本願寺)の創建に伴い浅草へ移転。その後は築地に移転。
そしていくつかの災害を受けながらも、関東大震災の甚大なる被害によりやむなく烏山へ移転されてきた経緯があります。(※2)
この関東大震災による堂宇(どうう)消失のため、寺基を烏山に移転させた三代前の住職は、すぐに本堂・山門の建築に着手するのではなく良質な材木、資材が調達できるまで待ちました。
今回修復となった本堂・再建となった山門の前身が完成したのが昭和8年のこと。
前身となる山門・本堂はその後二代にわたり手を入れながら大切に守られていましたが、8年前に亡くなられた先代住職の遺志を引き継ぎ、本堂耐震化・山門再建に至りました。
平成24年に山門、25年に本堂と再建・修復作業がスタートしました。
山門から修復工事に着手
ちょうどこの山門、子供達の通学路に面しているので、「怪我をさせてはいけない」との住職のお気持ちから、工事は山門からスタート。
山門に使用されている木材をご覧ください。
屋根を支える重要な土台となっているのがわかります。
粘土を素焼きにした瓦は重いため、落下時の危険性が高くなるとのこと。
そのため、瓦屋根から銅版の軽い屋根に変えています。青銅ですので、年月を経ると青銅色に変化します。
修復後は、軽量化された青銅の屋根と重厚な土台による素晴らしい山門となりました。
次に本堂に行ってみましょう。
山門から入ってすぐ右手に見えます。本堂も山門同様に青銅の屋根です。
理由として、阪神淡路大震災の時、お寺の瓦が崩れて下敷きで亡くなられた方が多いと聞かれ、被害を抑えるため、と伺いました。
確かに、一般住宅の被害については聞き及んでいましたが、お寺の被害については知る機会はなかったですね。
こちらの屋根で、ぜひご覧いただきたいのは丸瓦(円筒を半切りした形の瓦)です。
木製で形づくり、その上に銅板を重ねて丸くすることで軽量化しています。綺麗な丸身を帯びた形状を作るのは全て手作業なんです。
さらに本堂の中の様子も伺いました。
本堂の床板は全て剥がされ、地下に鉄クイを組んで耐震補強が施されました。その時に出た古材を処分するには忍び難く、記念念珠として加工し、ご協力いただいている檀家様へ感謝の念としてお配りしたそうです。
床板から数珠が作れるとは、正直その発想にびっくり。
こちらが床板から作られた数珠。
では、もう一度本堂の外側を見てみましょう。
実は、以前外側にはかなりの数の窓枠があったそうです。が、漆喰壁に鉄サクを組んで耐震強度を増すため、減らしたそうです。
外観を極力損なわないよう工事が行われたそうですが、全く違和感を感じません。
古き良きものと言うは易く、行う(保存する)は難し。
耐震のための大掛かりな修復工事ではありましたが、一般にお知らせする機会がないことで、お寺の取り組みを知る機会がないことは残念です。
今回の取り組みをご覧になって、お寺の修復工事がこのように行われていることを知っていただければ・・・と思います。
今後立ち寄ったお寺で見かけることがあるかもしれません。気にかけてみてください。
最後に、常栄寺の山門の扉の飾り御紋をご覧ください。
こちらでは、浄土真宗本願寺派(本山は西本願寺)の「下り藤」が使われております。藤の花が彫られていますね。
藤の花は古来より古典文学の代表「源氏物語」に登場するように、日本人に好まれてきた花であったことから家紋の意匠として用いられるようになったと言われています。
寺門として「下り藤」が定着したのは、本願寺22代宗主・鏡如上人(きょうにょしょうにん)に九条籌子(くじょうかずこ)様が嫁がれた際に、九条家の家紋である「下り藤」を持参したことによる、と伝えられています。九条家とは藤原家の流れを汲む家です。(※3)
そして浄土真宗の宗祖 親鸞聖人は藤原氏に繋がる日野家出身です。
こうして紐解いていくと、普段見過ごしてしまう扉の御紋の中にも歴史が刻まれています。
ぜひお寺をめぐる時は気にかけてみましょう。そのお寺のルーツが隠されています。
今回は震災を経験され、修復工事を着工されたお寺の取り組みを、ご紹介いたしました。
次回の「ぶらっと寺町」は、寺院通り3番の「幸龍寺」を紹介します。
清正公堂とさざれ石を特集します。お楽しみに!
出典)
※1 烏山寺町 ぶらり散策マップ「烏山寺町一口メモ」より
※2 常栄寺 https://joueiji.net/
※3 「季刊せいてん」No.116 2016年9月1日 浄土真宗本願寺派綜合研究所編
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講師プロフィール
ココカラPark編集部
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