勝手にボランティア
コロナ禍となり、マスクは生活必需品となって久しい。
マスクなしでは外出できないものねえ。
気になるのは・・・路上のマスクである。そう!捨てられているマスクね。
不織布でできたマスクがピラ〜っと落ちているのだ。
まだ鼻やアゴの形も生々しく残っているようなマスクは、「落としたて」なんだろうなと思う。
・・・自転車に乗っていて、マスクを直そうとした瞬間に飛ばしてしまった・・・とか、ポケットから出すときに手がすべったとか色んな瞬間を想像する。
道路に一度落としたとなると、もう使えないマスクとなる。
必要不可欠だったマスクが、一瞬にして不用品になる。ゴミだ。使えん。
くやしくて、拾いたくもなくなるのだろうとかね、想像してみる。
そんなマスクをしばしば見かけるのだった。
スーとの朝夕の散歩の時にも、二、三枚は落ちている。
最初のうちこそ、見て見ぬふりで通り過ぎてたけれど、かえってイライラするので、「見かけたら拾う」ことにした。
散歩コースはいつも同じではないので、色々な小道、大通り、海岸など通過する。
その度に、二、三、・・・四、五枚と取れ高はけっこう高いのよ〜。
朝夕の「犬タイム」(←小1時間)は、散歩とセットとして、放置マスク拾いも。
春に義母さんが逝ってからというもの、象タイムも蟻タイムも消滅した。
時間気にせず散歩や畑に向かうようになった。
しかし、あまりに時間がフリーになりすぎると、かえって自由でもなくなるんだな〜と妙な心境になってしまったよ。
貧乏性なんだろうか?
義母さん関係で、医療や福祉の方々と会う機会がとても増えて、仕事っぷりや人柄に触れるたびに、なんというか、当時はいつも気持ちがシャキッとした感じになっていた。
私のまったく知らなかった世界だったからだ。
なにか私でも役に立つことしたいな〜と漠然と思ったりする。かすかにね。
介護の仕事はとても重労働だしスキルもいるけれど、傾聴ボランティアや、短時間のお手伝いの募集もあるようだ。
手に入った象タイム以上の時間を、使いたくなってきた。
こういう自分の変化に自身がおどろいているけれど、やりたい気持ちになったのだから、GO!!だわな。
まず、「今やっていることを広げる」ことを決めた。
それは、放置マスク拾いと、海岸のゴミ集めや、ごみ置き場に積極的にかかわっていくことだ。
以前住んでいた地域と比べて(比較して申し訳ないけど)ここ小田原地区は、ゴミの飛び回り加減がハンパないと感じる。
それは行政の違いばかりでない。
海風が関係してる気がしてならないの〜。
強風の日には飛んだセロファンやレジ袋は川に落ちたり海まで舞っていったり。
そして・・・あ〜あ、考えたくもないけど、魚が誤嚥しちゃうとかねえ。
考えたくないことを考えるチャンスは今!と思うことにした。
スーとの散歩で歩き回ったあと、今度は単独自転車で、目についたり気になったゴミを拾いにいくことにした。
可燃と不燃用の袋と、長い挟むやつ(トングっていうの?)を自転車かごに入れてレッツゴー♪だ。
やりだすと、取れ高が少ない時は、ちょっと不満に感じてしまう不思議。
こんなことやりだす自分にビックリする。
けれどこれは、あの小刻みなタイムスケジュールで動き回り、また介護してくれたあの人たちと会うことがなかったら、たどり着けない「今ココ!」なんだろう。
ゴミ拾いが楽しみな今。
今年の夏に開こうと思っていたイラスト展、迷ったすえ今年はナシということに。
ではでは、来年のために絵はがきや人形を作りためよう。
サップにも行きたいし〜♪♬
面白いことや楽しそうなことないかな〜?と探すより、今あることを面白くする方が断然早いし楽だ。
これからも楽して行こうと思う。
ココカラPARK編集部より
一人ではどうすることもできず心配事が尽きないコロナ禍の中、毎日、それぞれの一日一日は過ぎていきます。
本田先生もこの数ヶ月の間に、お義母様の急な体調の変化からお別れと大変な時間を過ごされてきました。
しかし、それがあったからこそたどり着いた「今ココ!」ご自身の気持ちと行動の変化。「今あることを面白くする方が断然早いし楽だ」に込められた想いは小さいようで大きな一歩のように感じてなりません。
誰にでも平等な時間。使い方考え方次第でいくらでも楽しくできる気がします。さあ、私も「今できること」やっていきたいと思います。
この記事で初めて本田先生のことをお知りになった方は、自己紹介もお読みくださいませ。